今日はみんなに、ちょっと殺し合いをしてもらいます

今まで17回のデスゲームに参加し、無傷で生還した学習塾マリガンの高野です。

上下左右から壁が迫ってくる部屋からの脱出、あれは今でも思い出しますねぇ……

※もちろん嘘です

少し不謹慎なタイトルとなってしまいましたが、2000年に公開された邦画『バトル・ロワイアル』のキャッチコピーです。

過激な内容からニュースでも取り上げられていたこともあり、映画館にリアルタイムで観に行った方もいるのではないでしょうか。

私は当時小学生だったので、年齢制限に引っかかり、残念ながらスクリーンで観ることはできませんでした。

『バトル・ロワイアル』のように、生き残りをかけた作品を総じて「デスゲーム」と呼んでいます。

有名どころだと『SAW』『CUBE』シリーズですね。

ミステリーとの相性が良いため、謎解きの一部としてデスゲームがテーマになることも多々あります。

マイナーなところだと、個人的なお勧めは『次の犠牲者をオシラセシマス』というノベルゲームです。

これまたデスゲームと相性の良い「人狼ゲーム」をテーマにした作品です。

「デスゲームの黒幕は誰か?」を話し合いで推測し、犯人だと思う人間に投票後、最大票が集まった人間が処刑される流れです。

無実の人間が全員処刑されれば黒幕の勝利、黒幕が処刑されれば無事に解放されます。

3部作のゲームなのですが、割と序盤に黒幕が推測できてしまうため、ミステリーとしての面白さはありません。

「自分だけは生き残る」という、人間の醜さを上手く描いたサスペンス作品ですね。

ロストテクノロジー「PSP」のゲームなので、気軽にプレイできないところが難点です。

多数決は最悪の結果を選ぶこともある

処刑する人間を投票で選ぶといえば、つい先日、東京都知事選でしたね。

成人年齢が引き下げられたこともあり、選挙がより身近になったのではないでしょうか。

「政治」と考えると難しいので、「日本の黒幕は誰か」という人狼ゲームだと思って投票に行くといいと思います。

政治の話は当局に止められているため、話を変えて投票について。

民主主義の大原則は多数決です。

古代ギリシャ時代から投票については議論されてきましたが、結局、多数決という手法を継続しています。

当然、皆さんは「多数決は平等」と信じており、それに基づいた民主主義を疑ってはいませんよね。

だけど、よく考えてみてください。

「多数決が平等」であれば、古代から現代まで、「投票(多数決)」について議論が続いているのはおかしくないですか。

ここで数学のパラドックスが登場します。

実は、多数決は「最悪の結果を選ぶ」可能性があります。

選挙を始め、多数決で何かを決めるのであれば、このパラドックスを必ず知識として持っていてください。

そうしなければ、間違った選択を、あたかも「最大多数の幸福」と認識して、最悪の結果を招くことになります。

最後の晩餐

父、母、太郎くん、次郎くん、花子さんの5人家族がいたとします。

この家族はつい先日、デスゲームから帰還したばかりで、今日は祝勝会として、少し良いお店に夜ごはんを食べに行くようです。

そこで、何を食べに行くか、家族5人で多数決を取ることになりました。

家の近くにあるお店は「和食」「洋食」「中華」「イタリアン」の4種類。

父:和食 母:和食 太郎くん:洋食 次郎くん:中華 花子さん:イタリアン

和食2票 洋食1票 中華1票 イタリアン1票

多数決に則り、和食を食べに行くことになりました。

宴も酣、太郎くんがこんなことを言いました。

「和食も美味しかったね。デスゲームの最中はおにぎりしか支給されなかったから、米以外の物が食べたかったけど。そういえば、みんなは食べたくない物はなかったの?」

そこで、「食べたくなかったもの」を、改めて家族5人で多数決を取ることになりました。

父:イタリアン 母:中華 太郎くん:和食 次郎くん:和食 花子さん:和食

和食3票 洋食0票 中華1票 イタリアン1票

この結果はどうでしょうか。

言語化すると「食べたくない人が最も多いのは和食」と言えます。

「食べたい物は何か?」で投票すると夜ごはんは和食になりますが、「食べたくない物は何か?」で投票すると夜ごはんは和食にはなりません。

多数決では和食が最大票だったので「最高の結果」でしたが、見方を変えると「最悪の結果」となっています。

その後、家族内で翌日の朝ごはんをめぐるデスゲームが発生し、これが最後の晩餐になったのは言うまでもありません。

オストロゴルスキーのパラドックス

このように、「少数派が多数派に勝ってしまう矛盾」をオストロゴルスキーのパラドックスと呼んでいます。

簡単に言うと「質問の仕方によって、少数派が多数派を上回ることができる」というものです。

多数決は民主主義の大原則で平等のはずなのに、質問の仕方や見方によって結果が変わってしまうのはおかしいですよね。

夜ごはんのメニュー程度であれば小さな問題ですが、これは実際に政治の現場で起きている大きな問題です。

「政治家には知性や力量が求められていない。票を集める能力が重要だ」と言う批判をよく聞きますが、その「票を集める能力」すら必要ありません。

票が集まるように、多数派を少数派に誘導できてしまうからです。

当然、こういった多数決は統計学で解析することができ、このパラドックスも数学を主軸に議論することが可能です。

しかし、世の中の99%の人はその数式を理解できないため、上記のパラドックスを理解しないまま、多数決に甘んじている現状です。

非常に言い方が悪いですが、世の中には「バカにバカのままいてもらわないと困る」層が一定数います。

学習塾なんてまさにそれです。

日本国民全員が全科目100点だったら、学習塾という業種が危うくなります。

余談ですが、少し前にX(旧twitter)にて「日本国民全員が偏差値60だったら〜」という投稿が炎上していましたが、世界中をターゲットに学力調査を行えば、計算上は日本国民全員が偏差値60になることは可能なので、どうして炎上していたのか理解できません。

「偏差値は相対評価だから、国民全員が偏差値60はありえない」と言いたいのでしょうが、全世界を対象にすればあり得ますよね。

まあ、確率は0に近いですが。

最近はSNSの一投稿でさえ炎上させてくる放火魔がいるので、迂闊に思想を垂れ流すこともできません。

放火は死刑または無期もしくは5年以上の懲役ですよ。

死刑 または無期 もしくは5年以上の懲役

選択肢が多くて迷っちゃうなぁ!どれにしようかな〜!

はい、死刑!

スタバで分かる彼氏の教養

話が脱線してしまいましたが、政治でもそうですし、経済においても同じことがいえます。

政治は「票」という有限なリソースを、経済は「お金」という有限なリソースを奪い合う椅子取りゲームです。

政治や経済のように「絶対数が決まっている」世界では、「自分が利益を得る=誰かが損失する」等式が常に成立します。

例えば100円でコーラを買った場合、「コカコーラ株式会社が100円の利益を得る=消費者が100円を損失する」となります。

(消費税やその他の手数料を無視した単純な計算)

当然、コカコーラ社が消費者を騙しているわけではないので、この取引は良いものです。

「損失」が常に悪いわけではありません。

とはいえ、世の中にはあの手この手で消費者を騙そうとしてくる大人も相当な数います。

「一方的に損失する立場」を避けたい場合、自衛の手段として確立や統計学、つまり数学が非常に役立ちます。

弊塾は「英数理系特化の学習塾」となっているため、基本的には「受験」をベースに話を進めます。

しかし、勉強は受験以上に役立つ場面がたくさんあります。

いつ、どこで役に立つかは人によって違うため、こちらが明確に教えることはできません。

例えば、初めて彼氏or彼女ができて、初デートで喫茶店に行くとしましょう。

そこで、彼氏or彼女が「レギュラーとラージって、どっちが大きいんだっけ?」と聞いてきたらどう思います?

「こいつ、義務教育ちゃんと受けてきたのか?中学レベルの英単語だぞ」と心配になりませんか?

「心配になる」は漠然とした言い方ですが、これは人によって考えることが違います。

30歳を手前に控えたカップルの場合「この知能で子育てできるのか?」という心配に帰結しますし、80歳を手前に控えた夫婦の場合「ついに痴呆症か?」という心配に帰結します。

いずれにせよ、日常のふとした瞬間で「最低限の知性(教養)」が評価される場面が潜んでおり、自分の気づかないところで、他人からの評価が上下します。

たまに「何故かフラれた」と嘆く男女がいますが、それは恐らく、あなたに教養がなかったからです……

そろそろ次のデスゲームの時間になったので、今回はここまでにします。

受験は所詮受験であって、勉強はもっと大事だよ、というブログでした。

そういえば「国民死刑投票」という、多数決で死刑を決める韓国ドラマがありました。

デスゲーム作品をたくさん観ていると、最終的には「警察に追跡されないハッキング技術すごくない?」など、ソフト面が気になってしまいます。

実際のところ、そんな技術は存在しているのでしょうか。

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